「懲役十秒」
大罪人の男に下された判決は、たった10秒。
男は笑った。
だが、法廷には場違いの白衣の老人によって、意外な事実が明かされる。
「主文。被告人を、懲役十秒に処する」
裁判長の声が落ちると、静まり返っていた法廷に、一拍遅れてざわめきが走った。
被告席の男は裁判長を見上げた。
「……十秒?」
しばらく待ってから、聞き返した。
「十年の聞き間違いじゃないのか」
十年でも短い。
男が殺したのは、何の関係もない少女だった。
だが男にとって、刑期の長さなどどうでもよかった。
男は末期の病に侵されていた。医師から告げられた余命は、長くても一年。
その夜、男は気づいた。
死刑を言い渡されても、執行より先に病気が自分を殺す。
懲役百年を言い渡されても、そのうち一年しか服役できない。
どんな刑罰も、自分の死には追いつけない。
ならば、死ぬ前に誰かを道連れにしても同じではないか。
そう考え、男は街で見かけた少女を一人、選んだ。
裁判長は男の問いに答えなかった。
傍らに立つ白衣の老人へ、視線を向けた。
「説明を」
老人は小さく一礼した。
「中央神経科学研究院の主任研究員です」
痩せた老人だった。白衣の胸元には、銀色の紋章が付いている。
「規則ですのでな。刑の内容を説明しましょう」
男は眉をひそめた。
看守でも検察官でもない科学者が、なぜ判決の場にいるのか。
老人は男を見た。
「走馬灯という現象をご存じですか」
「死ぬときに、自分の人生を思い出すというやつだろう」
「正確には、少し違います」
老人は、まるで講義でも始めるように話した。
「死に瀕した人間の脳は、時間を異常な密度で処理することがあります。外の世界では数秒しか経過していなくても、本人には数日、数年、ときには一生分の時間が流れたように感じられる」
「それがどうした」
男は鼻で笑った。
「私たちは、その現象を引き起こす神経回路を特定しました」
男の笑いが、わずかに弱くなった。
「さらに、外部から刺激を与えることで、その回路を任意に作動させ、維持する技術を完成させました」
「つまり?」
「あなたの身体に流れる時間は、十秒です」
老人は言った。
「しかし、その間にあなたの意識が体験する時間は、最低でも数億年になります」
法廷から音が消えた。
男は老人を見つめたまま、動かなかった。
「……何を言っている」
「体験の内容も、こちらで設計できます」
老人は淡々と続けた。
「苦痛」
「恐怖」
「孤独」
「終わったと思った瞬間に、最初から始まる絶望」
男の喉が小さく鳴った。
「苦痛に慣れるための働きも停止させます。記憶を一定の間隔で処理し直すため、何度繰り返しても、あなたはそれを初めての苦痛として体験します」
「気を失えばいい」
「意識は装置が維持します」
「なら、死ねば――」
「刑期中は、心臓も脳も停止しません」
老人は言った。
「眠ることも、気を失うことも、死ぬこともできません」
男の頬から、完全に笑みが消えた。
「そんなものは拷問だ」
「法の上では、刑罰です」
答えたのは裁判長だった。
裁判長は判決文の一行を、指でなぞった。
「この刑を定めた法律の正式名称を、ご存じですか」
男は答えなかった。
裁判長は、その名を読み上げた。
「エリア法」
男の顔から血の気が引いた。
エリア。
自分が殺した少女の名前だった。
「そのとおり」
老人が引き継いだ。
「被害者エリア・アルノスの父、グレイ・アルノス氏は、この国でもっとも大きな影響力を持つ実業家の一人です」
老人は一枚の資料を開いた。
「あなたが拘置所で残りの日数を数えている間に、氏はこの研究の特許を取得しました。研究院へ資金を提供し、実用装置を完成させ、法学者を集め、議会を動かしました」
ページが一枚、めくられた。
「そして、この技術を刑罰として認める法律を成立させました」
男の唇が震えた。
「金で、法律を買ったのか」
「法律を買ったのではありません」
老人は答えた。
「成立させるために必要な研究も、設備も、証拠も、世論も、時間も、すべて揃えたのです」
老人は資料を閉じた。
「あなたは、自分の死の方が法律より速いと思っていた」
男は何も言わなかった。
「アルノス氏は、法律をあなたの死より速くしたのです」
「……俺一人のために、そこまでしたのか」
老人は首を横に振った。
「違います」
一呼吸置いて、言った。
「娘の一生を、あなたの余命一年で帳消しにさせないためです」
男は椅子を蹴って立ち上がった。
「会わせろ」
誰も動かなかった。
「父親をここへ連れてこい!」
男の叫びが法廷に響いた。
「俺に言いたいことがあるんだろう! 直接言わせろ!」
裁判長は、しばらく男を見ていた。
「面会は拒否されています」
「なぜだ」
「もう、あなたには興味がないそうです」
男の表情が歪んだ。
「嘘をつけ」
「伝言を一つ預かっています」
男は息を止めた。
裁判長は、判決文に挟まれていた紙を取り出した。
「『あの男に使う時間は、もう一秒もない』」
紙を戻す。
「以上です」
男は何かを言おうとした。
しかし、声にはならなかった。
数日後、刑は執行された。
準備にかかった時間は、ほんの数分だった。
男は拘束台に固定され、頭部に電極を取り付けられた。
目の前の壁には、執行時間を示す時計があった。
00:00:00
男は何度も首を振った。
「待て」
誰も答えなかった。
「頼む。少しだけ待ってくれ」
白衣の老人が操作卓の前に立った。
「説明は、すでに終わっています」
装置が作動した。
時計が一秒を刻んだ。
男の目が大きく見開かれた。
口が開いた。
だが、叫び声になる前に、時計は二秒目を示した。
観察室で、若い研究員が数値を読み上げた。
「外界時間、二秒」
研究員の声が震えた。
「主観時間、四億二千万年を通過。そこから先は、計測不能です」
研究員は老人を見た。
「装置を停止しますか」
「なぜです」
「ですが、これ以上は測定できません」
老人は壁の時計を見た。
そこには、まだこう表示されていた。
00:00:02
「測れないことと、終わったことは別です」
老人は操作卓へ視線を戻した。
「続行してください」
そして、淡々と言った。
「刑期は、あと八秒です」

