資本主義ゲームから離れるアクションの重要性

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魚を直接手に入れて食べることの居心地の悪さ

私は釣りが趣味です。

ただ、社会人になってからしばらく釣りから遠ざかっており、だいぶ社会人経験をしてから釣りを再開しました。

すると、釣れた魚を自宅に持って帰って料理している時に、何か不安を感じました。

「この魚って、スーパーとかで買ってないけど、本当に食べれるのかな?」と。

この感覚は釣りにハマってた学生時代にはない感覚だったので戸惑いました。

スーパーで買おうが、自分で海で釣ろうが、魚は魚ですし、汚い海じゃないんだから問題なく食べれます。けど、スーパーなど、いわゆる正規ルートを通っていない魚になぜか不安を覚えていたのです。

その時に、「あ、自分は資本主義に毒されすぎているな」と怖くなりました。

「お金を介して何かを得る」と言う行為が当たり前すぎて、その行為から若干だけど逸脱している釣った魚に不思議な違和感を感じていたのです。

その時、資本主義が何でも組み込まれた状態を自然だと思ってはいけない。と思いました。

魚の価値は?

資本主義を介さずに手に入れた魚に何か居心地の悪さを覚えていることに恐怖を感じながら、「釣った魚ってスーパーだといくらなんだろう?」と疑問に思って調べて驚きました。

めちゃくちゃ安いんですね。自分が釣ったサイズより大きな魚なのに数百円とか。その時に資本主義の圧倒的な効率性にビビりました。

私がたとえばアジと言う魚を釣るために、釣具に5,000円、餌に500円、移動費に1000円をかけたとします。釣れたアジにかけたコストはお金だけで6,500円です。しかも釣りに1日かけています。

一方で、スーパーのアジは、300円とかで買えます。その差は20倍です。

どれだけ現代の資本主義が洗練されているのかと驚愕しました。

便利だから資本主義を利用する。これは良いけど、自分の全てを資本主義に捧げたら、搾取される存在になる危険があります。

なぜ少し距離をとる必要があるのか?

資本主義は私たちの生活にあまりにも根深く浸透しすぎており、空気のような存在になっています。

何かご飯を食べたいなら、お店に行ったりスーパーやコンビニに行きます。けれどその食糧を得るには必ずお金が発生します。この流れがあまりに洗練されすぎているのです。

油断するとこの資本主義の空気に一瞬で飲まれてしまいます。

資本主義に染まりすぎると、何かを得るには全て市場を介する必要があるような錯覚をします。

この空気にどっぷり浸かると、何もかもお金が介在します。すると、一般的には、自分が提供する価値より、手に入れたい価値の方が上回ることが多いです。自分が提供した価値(労働)に対して20万を獲得しても、欲しいものはトータルでは20万よりも多くなってしまいます。高級ブランドを身につけないといけないと思ったり、雰囲気の良いレストランでご飯を食べないと気が済まなくなったり、とにかくお金を使わないと気が済まない感じになる人もいます。

この感覚が当たり前になると悲惨です。お金がいくらあっても足りません。

資本主義を挟まないアクション

この錯覚を打ち破るのには、資本市場を挟まないことを意識すると効果的だと思います。最初の例の釣りはまさに市場を挟まずに魚を獲得することを体験できます。

特に食べ物は、私たちが普段から頻繁にお金を払って獲得しているので効果が大きいと思います。

Youtubeで、野草や自然の魚を取って食べるような動画が人気だったりしますが、あのような資本市場を挟まないで食べ物を得るのは、本質的な面で人に訴求するのでしょう。

もちろん、間接的には全て資本市場が絡んでいるのは事実ですが、少し距離が取れることが大きいのです。

家庭菜園も資本主義から逃れる効果的な方法の一つだと思います。

もちろん、資本主義を否定するつもりは一切ありません。素晴らしいシステムだと思います。けど、このシステムはうまく使うのであって、使われてはいけないと思います。

この記事を読んでもあんまりピンとこない人も多いと思いますが、ぜひ資本主義を挟まないで食糧を得て料理して食べる行動をしてみてください。

もしかしたらビビッと来るかもしれません。

終わり。

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