その男は、長い冷凍保存から起きた。
男が目を開けると、白色の天井が明るく光っていた。天井には何の装飾もなく、蛍光灯すらない。
「目覚めましたね」
男の横で声がした。男が顔をその声がするように向けると、そこには白衣を着た人物がにこやかに立っていた。肌は透き通るように白く、髪はまっすぐに肩まで伸びて、艶やかだ。その人物があまりに中性的で美しいので、性別が男性なのか、それとも女性なのか判別がつかなかった。
「私は……、そうか、冷凍保存から目覚めたのか……」男が頭がまだ漠然とした中、ゆっくりと思考を巡らせて、自分が冷凍保存された最後を思い出した。
男は、冷凍保存される前、世界を代表する企業の社長だった。その権力は凄まじく、国の代表も彼のご機嫌を伺うほどで、あらゆることは彼の思うがままだった。1日では回りきれないほどの大邸宅に住み、美女を常にそばに置き、夕食には最高のシェフを呼び、最高の料理を楽しんだ。
その苛烈な性格から、会社では彼に振り回されて疲弊し、自殺する社員もいた。だがそれも当然のように闇に葬り去った。
そんな我が世の春を謳歌していた男だったが、ある時突然、医者から余命宣告をされた。
「不治の病です。持って1年でしょう」
男はショックを受けたと同時に、許せなかった。自分が1年で死ぬなんてことが許されるわけがないと思った。
「金はいくらでも出す。世界最高水準の医療と医者を連れてこい。何がなんでも治してくれ」
そう言ってたが、医者は首を振った。
「打つ手がありません。どんなに最高の医療であろうと、不可能です」
男は絶望に包まれた。それでも彼は諦めなかった。彼の生への執着は凄まじかった。彼は自分の命が助かる方法を探し求めた。
そんなとき、一人の医者がやってきて、男に言った。
「現在の医療では、あなたの病を治すことはできません。ですが、未来なら、あなたの病を治せる時が来るでしょう」
その医者は、男に冷凍保存を勧めた。冷凍保存で医療の発展を待ち、男の不治の病が治せるようになったら治療し解凍してもらうというのだ。
その医者は胡散臭かったし冷凍保存にかかる費用も高額であった。だが、男は最後の望みとして、その可能性に賭けてみることにした。
そうして現在、男は冷凍保存から解凍され、意識を戻したのだった。
「私の病は……?」男が、目の前の白衣の人に恐る恐る聞いた。
「病……?あぁ。治ってますよ」白衣の人が答えた。
「本当に冷凍保存と治療が成功したのか……。そうだ、会社はどうなった?私の会社に連絡してもらえるか?」
男が白衣の人に言った。
「はぁ。あなたの会社ですか?ちょっと待ってください」
白衣の人が眉をしかめながら何かを呟いた。視線は何もない空間を見ている。
「やはり。今調べましたが、あなたの会社は、もうありませんね」
「なに!?」男が驚愕した。
「そんなはずはないだろう?世界一の企業だぞ。私の時代に、知らない人はいなかった」
「ですから、あなたのカルテデータから調べましたよ。とっくの昔に消えています」
「そんな……」男は信じられなかった。
自分の会社が、100年200年で簡単に潰れるはずがない。
では、私が起こされたのは、もっと未来なのか……?そう思い、男は白衣の人に聞いた。
「俺が凍結されてから、一体、何年が経ったんだ?」
白衣の人は、にこやかに答えた。
「あなたが凍結されてから、1万年が経っています」
「1万年だって!?」男が再び驚愕した。
もしかしたら1000年くらい経ったのかもしれないと想像はしていたが、想像以上だった。
「そんなに未来に蘇っただなんて……。そんなに経たないと、私の不治の病は治せなかったのか?」
「いえ、あなたの病気は、はるか前に治せるようになっていました。ただ、あなたを蘇られようとする人がいなかったのです」
「そんなバカな!会社は?!私の家族はどうした?!」
「ですから、その方々があなたの復活を望んでいなかったのでしょう。けれど費用だけは払っていた。その後、どこかであなたの企業も子孫も全て途絶えてしまったのでしょう。だから、今日までずっと冷凍されていた。というわけです」
「なんていうことだ……」男は絶句した。家族からも企業からも疎まれていたなんて。
男は落ち込んだが、すぐに気をとりなおして言った。
「また一からスタートか。まぁいいさ。健康な体があれば、俺は何度でも成功できる。早速この世界を案内してる人を手配してくれ。商売の種はいくらでもあるはずだ」
男は心を新たに、1万年後の未来を生きる覚悟を決めた。その切り替えの速さはさすがは一代で過去に世界的な企業を作り上げた男だった。
「えーと……あなたは何か勘違いされていますね」白衣の人が哀れみの表情を浮かべて言った。
「あなたは、街に出ることはできませんよ」
「どうしてだ?まだこの病院で、何か検査をするのか?」
「病院?ここが?」白衣の人は驚き、ふっと笑った。
「ここは動物園ですよ」
「動物園……?」男は白衣の人が言っている意味がわからなかった。
「私は、獣医です」
「どういうことだ?なぜ獣医が俺を診察しているんだ?」
男は目の前の白衣の人に対して恐怖の感情を抱き始めた。疑念を持って見てみると、この完璧な造形の人物が、同じ人類には思えなくなってきた。人型の……何か別の存在。
「お前たちは、まさか宇宙人なのか……?」
男は自分の頭に浮かんだ疑問を口にした。
白衣の人は驚き、やがて笑い、それを否定するように手を振った。
「宇宙人?とんでもない。私たちは人間です。あなたは我々のご祖先様ですよ。それは間違いありません」
「じゃあなんで俺を動物園に閉じ込めるんだ?」男は聞いた。
白衣の人は、頭の悪い人に言い聞かせるように男に語りかけた。
「あなた、まさか自分が、今の人類と同じだと考えているんですか?あなたがいた時代から1万年ですよ?いいですか?あなたは、猿に対して、人間と同じように人権を与えますか?与えないでしょう。私たちからしたら、あなたはまさに猿なのです。いくらご先祖様だからと言って、話が通じないような動物と一緒には暮らせません。それは事実なのだからどうしようもありません」
それを聞いて、男は理解した。1万年の間に、人類は、どうやら大きく進化したのだ。そうして、自分とは全く別の生物になってしまったのだと。
「じゃあ、なんで俺はお前たちの言葉が通じるんだ?」男が聞いた。
「これは、私が翻訳機を使って、あなたの言葉に合わせているんですよ」
そう言って、白衣の人が、自分の耳タブを押す。すると突然、白衣の人の言葉聞き取れなくなった。自分がいた時代には存在していなかった、全く別の言語を話していることだけわかった。
「ちょうど、この動物園の企画で、昔の人類を蘇らせて飼ってみよう。ものがありましてね。ずっと冷凍されていたあなたに白羽の矢がたったというわけです。ですから、あなたにはここで暮らしてもらいます。でも安心してください。衣食住、全てあなたの時代よりも素晴らしいものですから」
「そんなものが欲しいんじゃない。俺が欲しいのは、自由に生きる権利だ」
「申し訳ありません。それだけは提供できません」
男は呆然となった。俺は死ぬまで、独りで、未来の人類に管理され生きるのか。あと何年。男は途端に、生への執着が薄れていくのを感じた。
そう男が考えた時、白衣の人が落胆した男を見て不憫に思ったのか、こう言った。
「死ぬのが怖いのでしょうか?大丈夫です。今の科学技術なら、息が止まろうが、胴体が切られようが、決して死ぬことはありませんから」
それを聞いた男は、初めて自分で抑え切れないほどの大声で叫んだ。