その男は世界屈指の天才科学者で、人類を1000年先に進めた男と呼ばれていた。
ある時、彼は政府の偉い会議に呼ばれた。
「忙しいところすまないね」議長が彼に言った。
「構いませんよ。どうしました?」彼は笑顔で答えた。彼の頭脳は、凡人の雑事に付き合うことも、生きるためには致し方ないことを承知していた。
「一つ君に聞きたいことがあってね」
「どうぞ」
「君は、巷では人類を1000年先に進めた男と呼ばれている。そんな君に聞きたいのだが、もし仮に、我々より、実際に1000年早く時間が進む文明があるとしよう。そこと勝負をしたら、我々は勝てると思うかね?」
「不思議なことを聞きますな。ですが真面目に答えましょう。率直に申し上げて、我々は負けるでしょうな」
「なるほど。理由を聞いても良いかな」
「アインシュタインは、複利は人類の最大の発明だ。と言いました。複利とは、時間です。我々より1000倍早く時間が流れる文明とは、単純に1000倍ではなく複利計算で天文学的な差が生まれるのです」
彼が喋り終わる前に、会議室に暗い雰囲気が漂った。
「やはりそうか」議長が言った。
「議長の仰る『もし仮に』が、どうやら仮ではないようですな」
「実は、そう遠くない宇宙に、我々のような文明を持つ惑星が見つかった」
「ほう」
「そして、察しの通り、その星では我々の1年が、約1000年に値することがわかったのだ」
「なるほど。それはどのように知ったので?」
「秘密裏に探査機を送ったのだ。最初に送った探査機では、家のような構造の建築物を建て暮らす猿のような生命体が見つかった。その後も探査船は何枚かの映像を送ってきたが、そこまで変化はなかった」
「2年後、2号機がその惑星に降り、写真を送ってきた時、我々は驚愕した。そこには都会があり、車のような乗り物があり、科学文明があったのだ」
「探査機から送られた情報から、その惑星の時間の速さが1000倍だと判明したのだ」
「我々は大いに焦っているのだよ。もしこのまま行くと、我々はすぐに科学力で追い越される。いや、もう追い越されているだろう。そして、それは一生追いつくことは不可能だ」
「そんな惑星の文明が、我々を見つけ、戦争を仕掛けてきたらどうなると思う?」
議長は憔悴した表情を浮かべる。
「まぁ、負けるでしょうな」
「その通りだ。負けるだろう。だから、君を呼んだ。一緒に対策を考えてもらいたいのだ」
彼は、ようやく自分がこの会議に呼ばれた理由がわかった。
「我々の元に映像が届くまでにはタイムラグがある。探査機の映像は2年前のもの。つまり、向こうの惑星では、さらに2000年以上が経過しているはずだ」
彼はそれを聞いて、しばらく無精髭を撫でて考えていたが、やがて答えた。
「なるほど。1000倍ですか…興味深い。しかし、対策は不要でしょう。私はこれで失礼します」
議会は騒然となった。
「どうしても気になるのなら、その惑星に探査機の3号を送ってみなさい」
そう男に言われ、議会は3号機を送ってみた。
そして、そこで、彼の言っている意味がわかった。3号機が捉えたのは、かつて高度な文明が存在したであろう惑星の、荒廃した姿だった。
高層ビルは崩れ落ち、都市は乾いた砂に埋もれ、生命の気配は感じられない。
1000倍の速度で駆け抜けた文明は、1000倍の速度で終焉を迎えたのだ。
彼の言う通り、対策は不要だった。なぜなら、時間という無慈悲な複利の力が、文明の崩壊にも働いていたのだから。