月が綺麗な夜だった。
その夜、田舎の寂れた集会所に、男たちが集まっていた。
男たちは、定例会と称して、定期的にこの集会所に集まって、愚痴を言ったり、くだらないことを話すのが習慣となっていた。
そんな集会の間、いつもは積極的に会話に入ってくる作業着姿の男が、青白い顔をしてうつむいていた。
他の男たちはたまらなくなって、その作業着の男に話しかけた。
「おい、どうした?そんな青白い顔をしてさ。いつも以上に顔色が悪いぜ」
一人の男が言った。それを聞いて他の男たちも笑いながらうなづいた。
作業着の男は、しばらく黙っていたが、やがて口を開けた。
「それがさ、この前、奇妙な体験をしちまって……」
「奇妙な体験…?」周りの男が眉をひそめる。
作業着の男が話し始めた。
「つい先日、いつもの峠でタクシーを待ってたんだ。ほら、あの峠、なかなかタクシーが通らないだろ。困ったなー、と思っていたんだけど、そこに一台のタクシーがやってきたんだ」
「俺が手を挙げると、そのタクシーが俺の前で停車して、後部座席のドアを開けたんだ。俺は、気づいてもらえた、よかった。と思ってよ。そのタクシーに乗ったんだ」
「どちらまで?って聞かれたから、俺が目的地を言うと、タクシーは発車したんだ。俺は、タクシーに乗ってからずっと下を向いてたから、運転席の方は見ていなかったんだけど、随分静かな人だなー、って思っていたんだよ」
「それで、暗くて長いトンネルの中で、俺は運転手がどんな顔をしてるのか見てやろうと、顔を上げて、驚愕したよ」
周囲の男の一人が唾を飲みこんだ。
「そこにはいるはずの運転手が、いなかったんだ……」
作業着の男が顔を上げて、周囲を見渡す。
周りの男たちも血の気が引いた顔をしている。
「運転席に、誰もいなかったんだよ。信じられるか?それなのに、そのタクシーは進んでいるし、ハンドルも間違いなく動いているんだ」
「おいおい。なんだよ、そりゃ」
一人の男が恐怖に震えた声でつぶやいた。
「俺は恐怖のあまり、ここで降ろしてくれ!と叫んだんだ」
「タクシーは、トンネルを抜けた先で停止したんだ。俺はもう怖くなって、すぐにタクシーを飛び降りて逃げ帰ったってわけだよ」
作業着の男が話し終わったあと、周囲の男たちは、ザワザワと話し始めた。
「そんな話、聞いたことないぞ」
「幽霊か?いや、そんな訳ないか」
など、無人のタクシーの話題で終始盛り上がったが、夜が明ける時間になったので、定例会は終了した。
***************
高層ビルのあるフロアに、パソコンの前で難しい顔をしたスーツ姿の男が椅子に座っていた。
「どうした?」その男に向かって、上司が声をかける。
「いや、ちょっと変な事が起きてまして」
「トラブルか?」
「いや、トラブルというほどではないんですが……。〇〇峠ってご存知ですか?」
「いや、初めて聞いたな」上司が首を振る。
「実は、その峠で、うちのタクシーが、乗客を一人乗せたって記録があるんですが、目的地の途中でタクシーを急停止させて上に、料金を払わずに降りちゃってるんです」
「無銭乗車だろ?珍しいが、聞いた事ない話じゃないだろ?」
上司が気のない声で言った。
「ところがですよ、これを見てください」
部下の男は、パソコン画面で、その時の車内の様子を映した監視カメラの映像を上司に見せながら言った。
「タクシーに、誰も乗っていないんですよ……」
監視カメラの映像には、誰もいない道の途中で停車し、後部座席のドアを開け、動き出すタクシーの様子が映し出されていた。車内映像には、誰もいない後部座席が映っている。
「おいおい。これはAIの故障か?」上司が言った。
「いえ、AIには不具合は起きていません」
「じゃあ何だっていうんだよ?」上司が聞いた。
部下はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「実は、〇〇峠って、出るって噂なんですよ」
「出るって……、まさか、あれか?幽霊か?」
「はい。ずいぶん昔の話ですが、〇〇峠での道路工事中に、作業男性の一人が車に轢かれ死んだそうです。その時から作業着姿の男性の幽霊が、峠を通るタクシーに乗ってくるらしいんですよ。地元のドライバーは、今でもあの峠は通りたくないって、言っているそうです」
上司は、難しい顔をしている。上にどう報告したものか、悩んでいるのだろう。
「しかし、運転手がいない、AIの自動運転タクシーでも、こんな不思議なことがあるんですね、驚きました」部下の男は言った。
それを聞いた上司は、一つ、ため息をついた。
「この件は、俺が資料まとめておくから、お前は通常業務に戻れ」
上司はそう言って、部下の肩をポンと叩いて、自分の席に戻っていく。
「けど、もし仮に幽霊が乗ったんだとしたら、脅かす相手がいなくて、さぞガッカリしただろうなぁ」
そう一人つぶやいて、部下の男は再び仕事に戻った。