論理学の授業で出会った「ヒュームの法則」
日本の大学生って、真面目に授業取らずにバイトや遊びに明け暮れるみたいなイメージがあるんですが、私は大学の講義が好きで、興味がある授業は単位関係ないものも受けてました。
その中で、『論理学』という授業科目があり、全く馴染みがなかったので面白そうだと思って取りました。
論理学の三段論法は有名ですね。「AはBである。BはCである。よってAはCである。」です。
ただ、論理学の内容は入門レベルなのに、私にとっては難解でした。なのでほとんど内容を覚えていません…。
でもその中で、たった一つですがとんでもなく感動して、今でもずっと覚えている事柄があります。
それが「ヒュームの法則」と呼ばれるものです。
『ヒュームの法則』は、何かの論理をつなげるときに、「すべきである」「しなくてはならない」のような主張は絶対に論理的に繋がらないという法則です。
言い換えると「すべき」「すべきでない」という主張には、どこまでも論理の飛躍があり、その溝は埋まらないということです。
例えば、あなたが厳しい野球部に入部したとします。
怖そうな先輩が新入生を集めて
「この部活では、伝統的に先輩の言うことは絶対である。」
「だから、お前たちも先輩の言うことを聞かなくてはならない。」
と言ってきました。
一見すると、正しい意見のように思えますが、この理屈は「この部活では、伝統的に先輩の言うことは絶対である。」という事実と、「だから、お前たちも先輩の言うことを聞くべきだ。」という規範を述べているので、論理学的には繋がっておらず、正しくない論理構造なのです。
怪しい主張に気づける
この「ヒュームの法則」自体が間違ってるんじゃないの?と論理学者の中で言われたり、色んな説があるようです。
ですが、私はこの理論を講義で聞いた時に「凄い使える理論だ…!」と衝撃が走りました。
なぜなら、世の中の大半が「AはBです。だから、あなたはCすべきです。」という論法を使って私たちを説得しているからです。
「痩せるとモテます。だからあなたはダイエットにこの薬を買わなくてはいけません。」
とかですね。
あまりに自然に私たちの生活に溶け込んでいるので気づきにくく、さも議論の余地がない事実のようなスタンスで言ってきます。
「良い大学に入れたら、将来は安定した生活ができます。だからお子さんには塾に行かせるべきです。」
ですが、実はこのようなスタイルの主張は全然論理的じゃないのです。
この「ヒュームの法則」を知っていれば、誰かがあなたを説得するときに、この論法を使ってさも当然のことのように何かを勧めてくる時に「結局、いくら正しそうでも、論理の飛躍があるな。」と冷静になれます。これは強いですよ。
「老後に貯金2000万円が必要である。だから、あなたは投資をすべきである。」
どうですか?このような国策にも、少し疑問を挟めますよね。
しつこいようですが、この少しの疑問を挟めることが大事なのです。
ぜひ論理的な主張の皮を被った「すべき論法」に騙されないようにしてください。