ある言語学者の偉業

オリジナル小説
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男は、とある仕事に追い詰められていた。

男は優秀な言語学者だった。だが、言語学者はどれだけ優秀でも稼げる職業ではなかった。

そのため、生活の向きは良くなかった。

そんな男の元に、好条件の仕事が舞い込んできた。

それは、有名なSF映画の監督からの依頼だった。その映画監督はリアリティを追求する人物で、新しい作品を撮るにあたり、男に新しい言語を作ってほしいと言った。

「君には、新しい映画で使う言語を作成してほしいんだ。私が描きたい世界は、この世界とは全く別物なんだ。だから、映画に説得力を持たせるために、全く新しい言語が必要なんだ。お金は、いくらでも出そう。」

そう言って、監督は男が今まで見たことがない金額を提示した。

「わかりました。必ずご期待に添える新しい言語をお作りします。」

そう言って、男は監督の仕事の依頼を受けた。

だが、意気揚々と依頼を受けた男であったが、監督が求めている言語を作るのは想像以上に難儀した。

最初、自国の言語をベースに、新しい言語を作成したのだが、それだと映画の世界観にそぐわないと却下されてしまったのだ。これには男は愕然としてしまった。それだけ監督のこだわりが猟奇的だとは思わなかった。

「我々とは混じったことがない文明を表現したいんだ。だから全く新しい言語体系がほしいんだ。」

そんなことを言われても、私たちは言語を使って思考する。それなのに、自分たちの言語体系から離れることは可能なのだろうか…。そう自問した。

「どうすればいいのだろう…」男は四六時中ずっとこの仕事のことを考えて、精神的に参ってしまった。

精神的に追い詰められた男は、ここ数日、自分の書斎で「こんにちは…」「こんにちは…」とブツブツ呟いていた。

どうにかして、「こんにちは」から新しい言語が作れないだろうかと考えていた。

もし周囲に人がいれば、男の切羽詰まった表情と呟きを聞いて、怪訝な顔をして、できるだけ男と関わらないように距離をとるだろう。

ところが突然事件が起きる。

男が「こんにちは…」と呟いていると、突然、頭の中で知らない言葉が思い浮かんだのだ。

「え?」と男は驚愕した。

それは、男が全く知らない、新しい言葉だった。

男が再び「こんにちは」と呟いた。

すると、再び、知らない言葉が頭の中で響いた。それも先ほどより強く。

男は、自分が頭がとうとうおかしくなったのだろう。と思った。

ずっと新言語を考えすぎて、幻聴のようにデタラメな言葉が浮かんだのだ。と

男は試しに「これは幻聴なのか?」と呟いた。

だが、その問いに対する新しい言語は、頭には浮かばなかった。

「私は頭がおかしくなったのか?」と呟いた。

これも、返事がなかった。

「こんにちは」とはっきり大きな声で言った。

すると、同じくらいはっきりと言葉が浮かんだ。

「奇跡が起きた…」と男は思った。

どうやら、自分は何か大事なことを掴むところなのだ。

男は、頭に浮かんだ言葉をメモした。

そうして、いくつかの簡単な言葉を挙げてみた。

ほとんどは反応がなかったが、いくつかは、まるで自分の頭の中に翻訳機能がついているかのように新しい言葉が浮かんだ。

男はメモが取れたいくつかの言葉から、言語の法則を発見しようと努力した。するとどうだろうか、面白いことに、この言葉達には、何らかの法則があるようだった。

男が直感的に感じたように、その言語は全く新しい言語体系だった。

男は興奮しながら、言語の法則を見つけていった。

男がその新しい言語体系の法則を見つけていくと、不思議と新しい言葉が頭に浮かぶことが増えてきた。

そうして半年、男は気づいたら新しい言語を完璧にマスターしていた。

この言語を男は本にまとめた。そして、映画監督にその本を渡した。

映画監督は、

「素晴らしい!これを期待していたんだ!これで映画は成功したも同然だ!」と喜んで、新しい言語を採用してくれた。

男は、ようやく肩の荷が降りた。仕事の報酬も入った。生活もしばらくは困るまい。

書斎に戻り、どかっと椅子に座って目を瞑った。

もう、この新しい言語に苦しめられる必要もないし、すっかり忘れて生活に戻ることができることが嬉しかった。だって、この言語は、映画以外には、何にも役に立たないのだ。

その時、

「お疲れ様でした」と、新しい言語が頭の中で響いた。

「ありがとう」と男も新しい言語で答えて、ふっと笑った。自分で自分を労わっているのだから、よっぽど疲れているのだろう。

ところが、

「ようやく、ちゃんとお話ができそうです。」頭の中の声が言った。

そこで男は眉を寄せた。

「どういうことだ?」男は自問した。こんなこと、私が言うはずがない。

「あなたが私たちの言語をマスターしてくれたおかげで、ようやく私の存在を伝えられます。」

やはり、この頭の声は、男が生み出した幻聴などではない。

男は、困惑した。私たちの言語?私の存在?

その声は、続けた。

「私は、宇宙人です。」

「宇宙人だって…?」男は椅子から飛び上がって周囲を見渡した。

「怖がらないでください。あなたが私を見ることはできません。」

声は頭の中で響いている。

「では、どこにいる?」男が聞いた。

「あなたの前にいます。」宇宙人が答える。

「いないと言ったではないか?」

「だからややこしいのです。私は、あなた達の世界でいう”幽霊”なのです。」

「幽霊だって? ってことは、君は宇宙人の幽霊なのかい?」

「はい。実は、一年前に、この星をやってきたのですが、その時に不慮の事故に遭って、そのまま死んでしまったのです。」

「なるほど…、宇宙人で、さらに幽霊とは、ちょっと設定が欲張りすぎているようだが、事実なら仕方がないな。で、なぜ私にコンタクトを?」

「あなた達の世界では、死は終わりを指しますが、私たちの科学力では、死は不可逆的なものではありません。つまり、今の私は幽霊の状態ですが、まだ生き返ることができるのです。」

宇宙人の声は続ける。

「ただ、生き返るためには、私の星にSOSの信号を送る必要があります。ですが、幽霊では信号を送ることができません。ですから、この星の人間に手伝ってもらおうと考えました。」

声は、少し落ち込んだトーンである。

「実は、あなた以外の人間にも、このような念話を試みましたが、相手にされませんでした。なぜなら私はこの星の言語をほとんど知らないからです。途方に暮れて彷徨っていた時に、あなたがずっと挨拶を呟いていたのです。」

「挨拶の言葉は、私が知っている、この星での数少ない言葉でした。だから、藁にもすがる思いで挨拶し返しました。すると驚いたことに、あなたがどんどんと私たちの言葉を理解して、最後には完璧に喋れるようになったのです。これは驚きました。」

「そういうことだったのか…」男はうなだれた。

「私は、自分で新しい言語を開発したのだと思っていたよ。そしてその妄想に頭を乗っ取られたのだとも。」

「いえ。あなたは間違いなく言語の天才です。」

「ありがとう。それで、君がこのタイミングで私に話してきたのは、何か理由があるのだろう?」

「流石に鋭い。その通りです。あの映画監督の作品に、私のSOSのメッセージを載せるように頼んでくれませんか?それで、私の星の者が気づくはずです。」

「なるほど…。確かに、君がいなければ、あの映画は完成しなかった。いわば君もエンドロールに載る権利があると言うわけだ。監督には、協力者の名前として、SOSのメッセージをエンドロールに載せるように頼んでみるよ。」

「ありがとうございます。」

後日、監督に頼むと、喜んでそのメッセージをエンドロールに載せてくれた。

そして、映画は狙い通りに大ヒットした。世間では、映画の中の言語を学ぼうとする物好きが何人か現れるほどだった。

ある日、男の元に再び宇宙人の声がした。

「ありがとうございました。あなたのおかげで、もうじきお迎えが来ます。」

「それはよかった。そういえば、君はそもそも何でこの星に来たんだい?」男は、ふと気になったことを聞いた。

「…ここだけの話ですが、実は私がこの星に来た理由は、人類を一掃することだったのです。」

「おいおい、穏やかじゃないな。困っていた君を助けたんだから、勘弁してくれよ。」彼が慌てて言った。

「もちろんですよ。同じ言語を話すなら、それはもう我々の仲間ですから。」

「それに、あなたのような素晴らしい人に出会えたんですから。それでは、さようなら。同志よ。」

「嬉しいね。ありがとう。」男が答えた。

そうして、声は消えた。

知らずに世界を救った言語学者の男は、しばらくはその場に立っていたが、やがてキッチンに行って、コーヒーをカップに注いだ。コーヒーは、まずまずの味だった。

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