私が学生時代の現代文の教科書に、夏目漱石が芥川龍之介に向けて「牛になりなさい」と書いた手紙が載っていました。
先日、なぜか突然それを思い出しました。
牛になる事はどうしても必要です。われわれはとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。僕のような老猾なものでも、ただいま牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせっては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気ずくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうしてわれわれを悩ませます。牛は超然として押していくのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
https://note.com/chibafarm/n/n14c37e9bfa00
この手紙は、若くして華々しく文壇デビューした芥川龍之介に向けて、夏目漱石がアドバイスした手紙です。
暖かい日が差し込む昼過ぎの、眠気誘われる教室で、この文章を読んだ時に「コイツァ、どうも、凄い大切なことを言ってるようだ。けど、今の自分には理解できないな。」と思って、そのまま心に残していました。
けど今、歳を取った後になると、この言葉がものすごい腹に落ちますよ。
牛みたいな人間ほど、恐ろしい人物はいませんよ。
「これをやる」と決めたら、淡々と、ずっとやり続ける人間。こんな人間が成功しないわけないですから。
特に現代って「効率厨」みたいなの増えていますよね。対象を分析して構造化して、A/Bテストして、一瞬をハックする、みたいな。インターネット世界はもちろん、感覚でやってそうな雰囲気の漫才すら、そんな感じじゃないですか。
けど、これは馬や花火寄りですよね。
麻雀で言うと、すぐ鳴く麻雀みたいなもんです。上がるのは早いけど、点数は軽い。だから怖くない。
それより、確率は落ちても、ずっと役満狙うやつの方が怖い。みたいな感覚です。
さらに言うと、この「牛の歩み」の威力がわかる年になると、牛の歩みのような行動が取れなくなるというジレンマが存在していると思っています。
簡単に言うと「ないない状態」に陥ってるんです。
気力がない。時間がない。体力がない。余裕がない…。
年取ってなまじ経験も積んでるから、結果が出るかわからない地味な作業をずっと続けるなんて、バカらしくてやれないですよ。普通は。
若い時は、やれる素養はあるが、牛の歩みの強さがわからない。
年を経た後は、牛の歩みの強さがわかるが、やれる素養がない…
なかなか上手くできてますね。
このジレンマを打破するには、
- 若い時に牛の歩みの強さを骨身に染みて理解できている。
- 歳とった後に、牛の歩みをする覚悟を決める。
この二つですよね。
歳をとっても遅くはない。と言うのが唯一の救いだと思います。
と言うことで、「牛の歩み」の強さについて思ったことでした。